
すべての他者とともに考える
ヤング・エグゼクティブ・セミナーに参加するたびに、終盤に向けて「立派である」とはどのようなことかという問いが参加者を捉えるのを見聞きしてきました。2020年8月の第101回セミナーにおけるレヴュー・セッションでは、私がカント哲学の一部分を用いるならどのような答えを提供できるかをお話しさせていただきました。
しかし、三日にわたるセミナーの最後にあまり長広舌を弄する愚を犯してはならないと思い、手短かな説明に留めました。また、話の終了後、下手な文字をなかったことにすべく、白板の文字を慌ただしく消したので、事務局の方から「写真を撮ろうと思ったのに」と言われてしまいました。そこで、この場を借りて、当日の説明を反復させていただきましょう。
まず、セミナーのテキストに収録されている、カントの『道徳形而上学の基礎づけ』(1785年)という文章から、その表題を確認しましょう。
この表題には「道徳」「形而上学」「基礎づけ」という三つの要素が含まれています。道徳は文化としてきわめて多様であり、哲学とは無関係に生成消滅します。しかし、そうしたさまざまな道徳にも哲学によって根拠づけ体系化できるものがあります。それを提示するのが「道徳の形而上学」です。さらに、そして最終的に、その「道徳の形而上学」を根拠づけようとするのが「基礎づけ」です。セミナーのテキストは、主としてこの「基礎づけ」を目指した文章から抜粋されています。あのテキストが抽象的で難解な所以です。
さて、「基礎づけ」は、すべての道徳の究極根拠を道徳法則として明らかにします。それは〈各人の行為原理(格率)が普遍性をもつことができるかどうかを問う〉ものでした。理性的存在としての私たちは、理性によって普遍的な思考が可能です。ここで普遍的な思考とは、数学のような思考ではなく、共に生きるすべての他者とともに考えるということです。これが人間に可能だという事実そのものが、道徳の根拠を提供するのです。

自分には完全性を、他人には幸福を追求する
次に、この普遍性の思考を、身体をもって生きる人間の行為に適用します。これが「道徳の形而上学」の次元です。カントは晩年の1797年に『道徳形而上学』という書物を刊行しますが、同書がまさにこの次元の表現です。二部に分かれている同書の第二部では、人間が有徳であるとはどのようなことかが提示されます。この箇所から紹介しましょう。
人間の(たんなる動作ではない)行為には目的があります。目的は実にさまざまですが、それを普遍性の観点から(つまり、誰もがもっているものとして)二つに大別できます。それは「完全性」と「幸福」です。人間が身体をもっているという事実は、ときにやっかいな思いを私たちに抱かせますが、それでも、それは各人がさまざまな可能性をもっていることを意味します。鍛えれば、速く長く走ることも、外国語を上手に話すこともできるでしょう。もっと速く、もっと上手にと鍛えるとき、私たちは「完全性」を目的にしています。このような完全性のみならず、もっと善く生きようと努力するなら、それは道徳的な完全性を目指していることになります。他方、身体をもっている人間は快・不快や満足・不満と無縁ではいられません。そうした満足の全体を「幸福」と名づけるなら、それを求めない人がいないことも確かでしょう。
このように人間は誰しも「完全性」と「幸福」を目的として追求します。このとき、人間は共に生きていますから、これをさらに「自分の完全性」「他人の完全性」「自分の幸福」「他人の幸福」に分けることができます。
さて、カントはこの中から「他人の完全性」と「自分の幸福」の追求を有徳さから排除します。「完全性」を目指せるのは各人自身であり、「他人の完全性」を追求できるはずもありません。これは道徳的完全性について考えてみれば容易に理解できます。他方、「自己の幸福」を求めるのは、川の水が下に流れるのと同じであり、あえて有徳というまでもありません。すると、有徳さのメルクマールとして残るのは「自己の完全性」と「他人の幸福」だということになります。
それがどうしたと思う方は、次のように考えてみてください。私たちは日々の暮らしの中で、ついつい「他人の完全性」と「自己の幸福」を追求しがちなのではないでしょうか。他人――あなたの部下かもしれません――の不完全さを難じ、その背後で自分の幸福を求めてしまうのではないでしょうか。この態度を逆転し、自分については「完全性」を追求し、他人についてはその「幸福」を追求できるということ、それが「立派であるということ」なのではないでしょうか。
2020年の夏には、このような話をしました。『道徳形而上学』(『人倫の形而上学』とも訳されます)の邦訳を読みたい方は、岩波書店の『カント全集11』、理想社の『カント全集第11巻』、あるいは中央公論社の『世界の名著39』を手に取ってみてください。
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