
6月24日に開催された対話ラウンジの開催レポート第二弾をお届けします。開催レポート第一弾では、髙橋文郎先生と堂目卓生先生による対談およびアダム・スミス『道徳感情論』をもとにしたテキスト対話についてご報告しました。
今回はテキスト対話、小グループ対話「私達の生活の中で共感の果たす役割、および社会や組織の中で共感をより活かすために必要な努力とは」を踏まえて行われた全体対話の概要をご報告します。
全体対話
対話から共感を育てる
- 共感が成り立つには、相手との信頼関係や、互いに対等であるという感覚が必要だと感じた。
- 社会や組織の中で共感を生かすには、共感そのものを共有する対話が必要だと思う。「私もそう思う」と言葉にしてみることで、共感が育つ第一歩となるのではないか。
- 価値観の異なる人との対話や、異なる意見を尊重する姿勢が、中立的な観察者や社会規範を保つためにも必要だと思う。
- 仕事の場でも、他者からの助言をありがたいと感じる人もいれば、負担に感じる人もおり、異なる意見への受け止め方には差があると感じた。
- 自分と違う意見の人を信用しない傾向が強まると、組織や社会の中で共感の輪を広げることが難しくなる。
- 話を聞いて相手を理解する過程の中で、正義やルールのような消極的な側面と、「慈恵」のように自分から与える積極的な側面のバランスを取ることが重要だと感じた。
共感と同調はどう違うか
- 共感と同調は、現実の中では混同されやすい。共感しているつもりが、実は同調圧力に屈しているだけということもあり得る。
- 共感は、相手と同じことを感じる場合だけでなく、違うと感じることも含む。相手の意見や感情に対して何を感じるかが共感であり、自分の意見や態度を相手に寄せてしまう同調とは異なる。
- 共感は、他者の考えを自分の中に一度入れてみるという能動的な行為を含んでいる。一方で同調は、特別な行動を起こさず、楽な方を選ぶことに近い。
- 共感を強要すると、同調圧力に変わってしまう。「同じように感じているべきだ」という前提があると、意見の違いについて踏み込んで話すことが難しくなる。
- 共感できない場合にも、どう対応するかについて合意できれば、違いを抱えたまま関係を続けることができる。
SNS時代における共感の危うさ
- SNSでは、自分と近い意見ばかりに触れることで、エコーチェンバーが生まれやすい。その中にいると、自分と異なる意見を信じにくくなり、共感の対象が狭まってしまう。
- アルゴリズムによって、自分が同調しやすい情報ばかりが流れてくると、それが世界全体であるかのように感じてしまう。共感を広げるためには、SNSの仕組みそのものへの理解も必要だと思う。
- いじめは、いじめる人に同調する人がいなければ成り立たない。同調が集団の中で増幅されると、共感とは反対に、他者を排除する力として働いてしまう。
AI時代に人間が担うもの
- AIが多くのことを代替できる時代に、人間が最も避けるべきなのは同調だと思う。自分の考えを持たず、楽な方に流れてしまえば、人間の仕事や役割は失われていく。
- AIの回答には感情がないからこそ、人と人が意見をぶつけ合い、そこからよりよいものを見つけていく力が人間には求められる。
- AIの時代において、人間が共感力や個性を持つことがますます重要になってくる。
- AIが出す答えの「斜め上」を行く発想や、相手を揺さぶるような働きかけは人間にしかできない。生身の人間が自分の思いを伝えることに、同調ではない共感の意味があると感じた。
- AIを使う領域には、AIに任せてよい部分、AIが人間を支援する部分、人間にしかできない部分がある。正解がある仕事はAIに任せられるが、人間の個性を生かす仕事では、AIを支援役として使うことが重要だと思う。
- AIは仕事を「楽」にするが、人間同士の関係には、違いを「楽しむ」ことがある。正解を求めるだけでなく、失敗を恐れずに探求し、その過程を楽しむことに人間らしさがあるのではないか。
堂目先生への質問
髙橋先生:
堂目先生、これまでの対話をお聴きになっていかがでしたか。そして『道徳感情論』と『国富論』のつながりはどのように考えればよいでしょうか。
堂目先生:
同調と共感の違いを考えるうえで、スミスの言葉を借りると、「同音」と「協和音」という比喩が非常に大事だと思います。人間は生まれながらに共感的、同感的ではありますが、他者に起きたことについて、当事者とまったく同じ強さの感情を持つことはできません。だから観察者の側は、できるだけ想像力を働かせて相手の立場に近づこうとしなくてはなりません。一方で当事者の側も、自分の感情を少し抑え、他者がついてこられるところまで落ち着かせる必要がある。
それでも、両者の感情が完全に一致することはありません。しかし、完全に同じ音、つまり「同音(unisons)」である必要はないのです。違う音であっても、全体として不快ではない「協和音(concords)」になればよい。これが、社会の調和にとって必要とされるすべてなのです。
ただし、社会秩序を保つためには、最低限の同調も必要です。たとえば、人を殺してはならないということに多くの人が同調していなければ、安全な社会は成り立ちません。問題は、その同調が閉じた共同体の中だけで強まり、それに共感できない人々を反感の対象にしてしまうことです。宗教戦争も、まさにそのような閉じた共感の共同体同士の対立だったと言えるでしょう。
スミスが考えていたのは、秩序を保ちながらも、同調圧力をできるだけ小さくし、異質なものとの出会いによって共感の範囲を広げていくことだったと思います。『国富論』における自由な貿易も、異なる国や宗教、文化を持つ人々が取引を通じて出会い、閉じた共感から解放されていく可能性を持っていました。 現代のSNSにも、同じように二つの可能性があります。閉じた共感の共同体を作り、対立を深める危険もある。しかし一方で、異なる文化や意見を持つ人々と出会い、完全に同じでなくても調和できる関係を広げられる可能性もあります。大切なのは、みんなが同じ音を出すことではなく、違う音を持ちながら、全体として調和する「協和音」を人類全体でどう作っていくかということだと思います。
※テキスト対話編のレポートはこちらからお読みいただけます

